ロータリーの基礎知識 第3版
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中もっとも興味があったのは︑弁護士資格取得後23才から28才迄の放浪生活5年である︒︵1︶ポールは何故5年も行方定め︵2︶弁護士開業後後悔しなかった︵3︶彼はこの5年間の生活体験を似た様な経験がある︒私は28才で司法研修所に入ったから︑ポールの開業と同年である︒アメリカと日本の制度の違いがあるから︑法曹として同年令スタートである︒日本では全てストレートで通過すれば︑22才で研修所に入れるから︑6年の遅れが生じている︒当時平均年令28才で︑修習生500人中22才だった者は5%位だったから︑私もそれ程遅滞した方ではなかったが︑この空白期間をどうやって取返そうか︑と考え込ポール・パーシー・ハリスの伝記ぬ旅鴉の生活をしたのか︒のか︒どう考えたのか︒私事にわたって恐縮だが︑私にもんだことがある︒この問題の対処法は年令によって違い︑初めは残念と思い︑次はその分長生きしてやろうと考え︑最後はどうやってもカバーは出来ないと諦めた︒そこで私が思い付いたのは︑その期間の生活体験や知識を活用する方法は何か︑である︒私の6年は浪人3年と他学部3年だから︑その間の経験を現在利用すれば︑決して無駄ではない︑と悟った︒経済的や青春謳歌的には取戻せないが︑自分なりに満足の行く解決法はある︒私はかつて将棋を習っていたせいで︑人生は1局の勝負だから︑指し直しは利かないと思っている︒御破算には出来ないから︑いくらまずい手を指しても︑その手を利用して続ける以外に方法はない︒浪人3年で得たのは古文を読む読解力で︑平家物語︑太平記︑南総里見八犬伝位はスラスラ読めた︒それを推進させて︑平安文学迄読んで見ようと言う気になり︑最終目標を源氏物語に置いた︒意外に早く光君にお目見え出来︑1年弱で読み終った︒て︑正義の戦争を否定しているのは︑訳はないが︑注釈付の原文である︒次に栄花物語に取りかかったら︑これが実に楽だった︒哲学科3年間は実は司法試験の勉強ばかりしていて︑お情け卒業だったから︑卒業証書に恥じない程度の本を読もうと考えて取りかかった︒哲学書の他に宗教書にも手を伸ばして︑コーラン︑ウパニシ■ッド︑法華経にもお目にかかった︒こちらはこれで終了と言う限界はないから︑﹁こんな程度で失礼します﹂と頭を下げる位だったが︑正法眼蔵を原文1回︑現代語訳2回︑抜粋訳2回読んだ︒導師も居ないし︑座禅も組まないから︑こんなことが書いてある︑に滞在中︑顔色も悪く︑ふさぎ込んのレベルで終ったのは仕方がない︒ポール・パーシー・ハリスがこの世を去ったのは78才だから︑現在71才の私は彼の晩年にさしかかっており︑彼の発想が理解可能の年令になっている︒ポールはこの放浪5年間を積極的に自分の人生に取り込もうとしたらしい︒弁護士生活や資産形成にはプラスになっていないが︑彼の見識や人格には多大の影響を及ぼしている︒北部出身の彼が南部の戦争被害を見放浪生活なしでは考えられない︒ポールは教育を重視し︑後の世代に残せる物は教育しかないと語り︑青少年に他国や他地方を旅行させて精神的発達を促進させてやるのがもっとも適切と言っている︒この事業は将来にわたって世界平和と他国民相互理解に貢献するとも述べている︒これらの発想も︑若い時に国内外を見て廻ったポールの経験に基づくと思われる︒RI名誉会長になった彼はあちこちを廻っているが︑彼の人柄が偲ばれるエピソードを紹介したい︒彼がオーストラリアのブリスベンでいたことがあった︒当地のロータリアンがポールを田舎に案内したが︑その先は新設された火葬場だった︒ポール﹁施設はどんな具合かね︒﹂管理人﹁最高ですよ︒客から焼き加減についてコック長に全く苦情がありませんよ︒﹂﹁もっと元気を出さないと︑貴方も焼き場行きが近くなりますよ﹂とオーストラリアの友人は言いたかったポールの性格浦和ロータリー・クラブ矢作好英ロータリーエッセイ−85−GOVERNOR’SMONTHLYLETTER!

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