ロータリーの基礎知識 第3版
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会したのは︑1970年2月だから︑くなった上︑会員も瞬間的には10会長に就任した2002年7月迄には実に32年以上経っているが︑ロータリーに対する知識はほとんどなかった︒創始者ポール・パーシー・ハリスが同業者と言うこと位しか知らなかったから︑2770地区の平均よりやや下のレベルだった︒筈だったが︑浦和クラブの有力会員が中年病や業績悪化の為︑次々に退会してしまい︑49番目の男にさせられてしまった︒馬齢65才にして︑初めて重職を担う羽目になった︒御存知の通り浦和クラブは2770地区最古にして最大クラブで︑著名人が会長を務めてきており︑最大時には150名近い会員を擁していたのだ私が浦和ロータリー・クラブに入本来なら︑会長をやらずに済んだが︑私如き者まで狩出さねばならな0人の大台を割る状況になっていた︒わずか1年と言っても︑私が実行しなければならない使命は何かを求める為︑60の手習いを始めた︒浦和クラブの事務室にあるロータリー関係の本を片端から読み漁ることが︑会長エレクトとしての私の仕事になった︒機会があれば御紹介するつもりだが︑﹁ポール・パーシー・ハリスの伝記﹂と彼の著書を米山梅吉が訳した﹁ロータリーの理想と友愛﹂の2冊は熟読して︑抜粋もした位である︒その他︑浦和クラブ何年史や週報綴りも読んだから︑1年ですっかりロータリー通になったと自賛している︒勿論それには目的があり︑古いことを持ち出して新会長を抑制したがる長老達に対する対抗手段でもあった︒少し例を挙げてみる︒浦和クラブでは︑新年度第1回例会卓話として︑新旧両会長と両幹事の挨拶が行われていた︒オリンピック閉会式でも︑次回開催地に旗と権限が移譲されているのに︑ロータリーでは最終例会で旧会長任期が終わらないのは腑に落ちない︒更に第1回例会は新会長の施政方針演説にも当たる大切な時期だから︑旧会長の任期満了謝辞を述べるには妥当ではない︒そこで各年度の初回と最終回の週報を調べた所︑両方の場合があることが判り︑私のやり方を実行しているケースもあった︒つまり創立以来の金科玉条ではなかったのである︒週報題字を各年度会長が揮毫する慣例があり︑不慣れなお習字に励む人も居たらしいが︑私は今更毛筆の練習をする気がなかった︒上手な方に代筆を頼むのも業腹なので︑英文で済まそうとして︑週報を調べた︒書家に依頼した題字を長い間使っていたが︑ある会報委員長のアイディアで︑会長自筆になったらしい︒既に会長職を済ませた生存会員は二月ずつ位題字を担当していたが︑中にはサインペンやボールペンで金釘流を書いた人も居たから︑安心して英文︑しかもドイツ文字を週報トップに載せた︒週報1面下欄に続き物を載せる習慣があったので︑ここに物故会ポールへの興味浦和ロータリー・クラブ矢作好英#!!"ロータリーエッセイ−19−「ポール・パーシー・ハリスの伝記」と「ロータリーの理想と友愛」GOVERNOR’SMONTHLYLETTER

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