ロータリーの基礎知識 第3版
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大にして主張している最大のテーマは戦争反対である︒彼はこう言っている︒﹁正義の為の戦と言われるが︑補が出せなかった︒リンカーンは40扇動家の掲げる大義名分に過ぎない︒%の投票で当選している︒奴隷禁止ロータリークラブは国際緊張緩和に努力しなければならない﹂と︒が︑戦禍を自分の目で確かめることは出来ただろう︒ポールの言う正義の為の戦と言うのは1861年に始まった南北戦争のことである︒この戦争は1865年に終ったが︑1877年迄北軍が南部地方を占領していた︒は南北戦争のセコハンで︑連発の利くライフルが使われた地上最初の戦闘が南北戦争である︒ポール・パーシー・ハリスが声をポールは生涯戦争に遭わなかった日本の戊辰戦争で使用された鉄砲1860年の大統領選挙では︑共和党候補がリンカーンで︑民主党は南部民主党が分裂していて︑統一候を主張するリンカーンが当選したので︑南部奴隷州のサウスカロライナ︑論の根拠になっており︑100%正義のジョージア︑アラバマ︑ミシシッピイ︑ルイジアナ︑テキサス︑フロリダの7州がアメリカ合衆国から離脱した︒分離派の主張は︑アメリカ連邦に契約加盟しただけだから︑離脱も自由と言う点にある︒連邦政府は︑行や南部市民の抵抗が描写されてい連邦からの離脱は許されず︑南部諸州のやり方は反逆罪に当るから断乎討伐すると強調した︒最強硬派のサウスカロライナ州が政府支配のサムター海軍基地の明渡を求め︑拒絶されるや攻撃を開始した事変から︑大内戦が始まった︒南部連合側には︑千人となった︒バージニア︑ノースカロライナ︑テネシー︑アーカンソーの4州が加わり︑11州となった︒連邦側23州の中には奴隷州もあったから︑複雑な関係になっている︒初戦では南部が勝ったが︑その原因は南軍の士気と指揮能力の優秀さにあった︒南部の人口は900万人︑この内奴隷360万人︑一方北部は2千2百万人の人口を有し︑工業生産力でも遥かに上だった︒﹁アンクルトムの小屋﹂が北部世為の戦とみなしていたが︑ドンパチが始まれば︑そんなきれい事ではすまされなかった︒﹁風と共に去りぬ﹂が南部から見た戦争の実体で︑南部侵攻の北軍蛮る︒ライフルの効果は絶大で︑アンティタムの戦闘では両軍合せて11万人が参加し︑1日で2万5千人の死傷者が出た︒最大会戦のゲティスバーグでは︑3日間で両軍死傷者4万6ポールは南北戦争終了後の1868年に生れたから︑アメリカ各地で負傷者を見ている筈である︒南部各地は元通りにするには半世紀かかると言われた程破壊されたから︑青年時代に放浪生活を送ったポールは悲惨な戦争災害を目撃していた︒北軍は︑各州が奴隷を認めること自体に反対している訳ではなかったが︑南部進駐をするにつれて︑黒人奴隷の処遇に悩んだ︒自由州では人間だが︑奴隷州では財産だから︑法律的には牛や馬と同じである︒奴隷も︑主人のプランターが逃げてしまうと生活出来ないから︑北軍に頼って来る︒他人の財産だから保管しなければならないが︑兵隊自身の衣食に不足しているから︑奴隷に迄廻す余地がなかった︒そこで奴隷全員を解放することにし︑彼等の世話から北軍も解放された︒南軍降伏後10日の1865年4月身の副大統領ジョンソンが昇格した南北戦争と戦争絶対反対浦和ロータリー・クラブ矢作好英ロータリーエッセイ−31−15日リンカーンは暗殺され︑南部出GOVERNOR’SMONTHLYLETTER!

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