の夫婦でない限り︑夫は妻子に対して自覚を持っている︒ロータリー家族会で自覚を促されねばならない程︑の解釈が変って来る︒義務を放棄してはいない︒著者ポールも訳者米山梅吉も言い放しで︑注釈をつけてくれないから︑自分の頭で考えるしかない︒だったか︒田舎から一旗挙げようと集まって来た男達の内︑成功者がロータリーに入る︒一獲千金を夢見る男が居れば︑その懐中からおこぼれをごっそり頂戴しようとする女も出て来る︒この男達は故郷に妻子を残して出て来たけれど︑シカゴの水商売の女に溺れて︑同棲したり︑渡り歩いたりしていた可能性がある︒彼等に対して︑早く妻子を呼び︑普通の家庭生活に入る様に︑自覚させる為に︑ロータリーの家族会を開くのである︒好きな女と暮らしていても︑故郷の子供を思い出すのは男の性である︒この弱味につけ込んで︑乱れた生活是正の説得材料として家族会を催し︑他人の親子団欒を見せつけようと言うのだから︑ポールも相当のお節介である︒﹁小さな親切大きなお世話﹂に入る︒数年間の発酵の効果が出ると︑こポールは陸軍士官学校を優秀な成績で卒業したと言うから︑身体強健であり︑女の群がるシカゴで暮していたのだから︑女出入りがあっても不思議ではない︒伝記中女性の影もなく︑登場するのはスコットランド出身の夫人1人だけである︒ポールは1910年結婚したが︑彼は42才︑夫人は30才だから︑それなりの遍歴が想像される年令である︒2人が初めてデイトした時︑ポールはツイードの新しい服を着ていたが︑かる気分の時︑妻子を田舎に置きな鉄条網にひっかかってほつれてしまった︒そのほころびを縫ってくれた夫人の優しさにほだされた︑と言うのが伝記中の唯一のラブロマンスである︒シカゴは至る所建築現場だらけだったことが判る︒かようにして惚れて結婚したポール夫妻は大変仲が良く︑彼がRI会長になって世界中を飛び廻る時も一緒だった︒夫人は飛行機が嫌いだったので︑2人は船旅を選び︑止むを得ない日程の時だけポール1人が航空便を利用した︒"これ程親密な夫婦でも︑何年も暮らせば隣の芝が青く見えて来る︒かがら︑シカゴの花から花へ移る蝶を見ると︑いくら聖人君子だって腹が立って来る︒﹁何とか妻子を呼び寄せて︑俺達同様の規則正しい生活に戻してやろう﹂と決意したとしてもポールを非難出来まい︒﹁昔は俺もそうだった﹂と思って︑我慢してはいられなかったのだろう︒ロータリーエッセイの予定大膨張時代とポールの青春遍歴ポールがロータリーに求めたものポールへの興味メイフラワー号とハリス家の関係独立戦争前後と宗教的不寛容排除ゴールドラッシュとポールの母方祖父南北戦争と戦争絶対反対ロータリアンへの教訓シカゴでの弁護士生活ポールのミドルネームエマソンの思想とロータリーポールの性格アメリカ史の魅力−38−20世紀初頭のシカゴはどんな状態ジーン夫人の郷里エジンバラの道路の名前をとって「カムリーバンク」と名付けた「カムリー・バンク」でくつろぐポール・ハリス夫妻GOVERNOR’SMONTHLYLETTER,-+*)'(%&$#!
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