ロータリーの基礎知識 第3版
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ていたが︑今回ロータリアン有志が持主から買った邸宅にある石燈籠は︑写真で見る限り新し過ぎるから︑70年の風雪に耐えたオリジナルではなさそうである︒供の居ない未亡人はスコットランドに帰ることになった︒未亡人は自邸をRIに買取ってもらおうとしたが︑番はキリストの高弟の遺骨である︒RIはこう言って断った︒﹁我々はポールの思想は受継ぐけれど︑彼の遺物は要らない﹂と︒同様の話は︑ポールの育ったバーモント州の家売買の時にもあった︒地元ロータリークラブでは︑RIに買入れを要請したが︑これも断っている︒地元クラブは取毀した材木を譲受けて︑点鐘用木槌を多数作り︑各地のクラブにポールは1947年に死亡し︑子配布した︒RIのポール執務室は生前のまま保存されているが︑それ以外のポール関連グッズはないらしい︒私はこの話をこう解釈している︒ヨーロッパのキリスト教寺院には︑キリスト関連聖遺物が多く収蔵され︑教会としての格も上る︒モーツァル信者の崇拝の的になっているが︑1ローマにはペトロの骨があり︑ベネチアにはマルコが祀られている︒スペインの北方には︑ヤコブの遺体があって︑サンチ■ゴ・デ・コンポステラには年に何百万人もの巡礼が訪れる︒2番はキリストと接触した遺物で︑彼のかけられた十字架破片︑彼を刺した槍︑彼を包んだ羊皮︑彼の血を受けた杯等が存在する︒聖遺物収集が始まったのはビザンチン帝国で︑十字軍がコンスタンチノープルを占領した時︑ヨーロッパ各地に持込まれて︑大変な御利益があるとされた︒聖遺物のある教会には信者が集り︑必然的に御賽銭も入るから︑ていないと判断し︑旧邸譲受を了解トの﹁パルツィハル﹂やワグナーの﹁ローエングリン﹂はいずれもキリストの流れる血を受けた聖杯を守る騎士団長の名前で︑前者は後者の父に当る︒結婚式で新婚カップル入場時の音楽は︑ローエングリンのウェディングファンファーレだが︑作家杉本苑子さんは疑念を抱いている︒白鳥の騎士に危うい運命を救われた姫君は彼と結婚するが︑誓いの言葉を忘れて夫の氏素姓を質問してしまい︑夫が去って行く物語だから︑縁起が悪いと言う理由である︒しかしながら︑永遠の愛なんて建前だけであり︑女は約束を守らないのが一般だから︑ワグナーの人生観を結婚式に肝に命ずるのも良い習慣であり︑セレモニー屋の大ヒットと思っている︒﹁ニーベルンゲンの指輪﹂4部作を作ったワグナーはまともなクリスチ■ンではないのだろう︒RIの首脳部はヨーロッパの聖遺物騒ぎを良く知っていて︑ロータリーもああなっては困ると考えた結果︑ポールの遺物買入れを拒絶したのだろう︒60年も経てば︑ほとんど残っしたと思っている︒ロータリーエッセイの予定大膨張時代とポールの青春遍歴ポールがロータリーに求めたものポールへの興味メイフラワー号とハリス家の関係独立戦争前後と宗教的不寛容排除ゴールドラッシュとポールの母方祖父南北戦争と戦争絶対反対ロータリアンへの教訓シカゴでの弁護士生活ポールのミドルネームエマソンの思想とロータリーポールの性格アメリカ史の魅力−76−西ヨーロッパのキリスト教国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のこと。1096年から約200年間に渡って行われ、1270年の聖王ルイの出征まで8回とすることが多いが異論もある。第一回十字軍(1096〜1099年):セルジューク朝の圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスの依頼により、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世がキリスト教徒に対し、イスラム教徒に対する軍事行動を呼びかけ、参加者には免償(罪の償いの免除)が与えられると宣言した。この呼びかけに応えた騎士たちは、イスラム教徒支配下の都市を攻略し、1099年エルサレムの征服に成功。この十字軍の結果、シリアからパレスチナにかけてエルサレム王国などいくつかの十字軍国家が作られた。(Wikipediaより)GOVERNOR’SMONTHLYLETTER十字軍,-+*)'(%&!$#"

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